ゆうこの告白。
白状すると・・・。
私にとって、「性」の話題は、自分の中で一番いやな、避けたいことでした。
Eのカムアウトを受けたとき、
私は姉に電話して、こう言った。
「ねえさん、私がこのことだけには触れてほしくないことを、
どうしても見なきゃいけないようにされてしまった・・・
本当は、見たくない。考えたくない。
嫌だ。つらい。逃げたい。
でももう避けてはいられなくなっちゃった。
どうしても向き合わなくてはいけない・・・
これって、いったい、どういうことなんだろうね?
どういう意味があるんだろう?」
と、泣きながら姉に訴えた。
姉にしかこの自分の本音は言えなかった。
姉は・・・
「そこに意味があるのよ。
逃げずに見据えなさい。向かい合いなさい。
そうすれば必ず答えがわかるから・・・」
そう言った。
======================
ようやく今ね、
その答えが少し見えてきた気がしてる。
======================
カムアウトされたことで、
気づかなかった自分の偏見に目を向け、
それを取っ払う作業を、Eを通して、してきたんだと
そう思う。
======================
この間、Eと一緒に行ったカフェで。
そこはお母様とその娘さんが親子でやっているところなんだけど。
私は自分でもビックリするくらい自然に、そのオーナー親子に向かって
Eをこう紹介した。(もちろん、その場でEにことわってからだけど)
「この子、同性愛者なんですよ」。
一年前の自分には考えられない行動。
自分で自分に驚いた。
またその親子もごく自然に・・静かに・・私の言葉を受け止めてくれて・・・
その後の私とEの話に耳を傾けてくれた。
嬉しすぎる、あり得ない話。
でも現実にあった話。
Eという鏡を通して、私は自分を見させてもらってると、心から思った。
=========================
ただ。
今また改めて思う。
「この子、同性愛者なんです」
ではなく、
「同性愛者でもある子なんです」
と表現すべきだったのでは・・・と・・・。
E=同性愛者
でなく、
同性愛者であることは、Eのなかの一部であって、すべてではない。
いつのまにか私の中に思いこみがあったから、
ああいう言い方をしてしまったのかな・・・
======================
私は今、Eを危惧しています。
同性愛者を主張するあまり、本来のEが隠れてしまっていないか・・・
同性愛者としての活動が目立ち過ぎて、
大学四年生としてのEが見えにくくなっています。
カッコいいし、親の私から見てもイケメンの彼女だけど・・・
Eの内面の、底の底にあるものって、何?
私はEからそれを言葉で聞きたい。
静かにクールに耳を傾けることも大切なこと。
でも、自分の思いを冷静に言葉で表現化することももっと大事だと思う。
時には感情の任せるまま、言いたいことを言いたい放題、口に出したっていいんです。
今のEを見ていると、
つらくなるのは何でだろ・・・
「同性愛者」という言葉を、Eから取っ払ったら、何が残るのかな・・
EがEとして、社会で自立して生活していくとき、彼女の手には何があるのか・・
etsuさんやbiancaさんたちのすごさの本質は
「同性愛」という枠の中にとどまらないところだと私は思います。
==========================
愛する娘Eへ。
どうか誤解しないで耳を傾けてくれますように・・・
にほんブログ村
私にとって、「性」の話題は、自分の中で一番いやな、避けたいことでした。
Eのカムアウトを受けたとき、
私は姉に電話して、こう言った。
「ねえさん、私がこのことだけには触れてほしくないことを、
どうしても見なきゃいけないようにされてしまった・・・
本当は、見たくない。考えたくない。
嫌だ。つらい。逃げたい。
でももう避けてはいられなくなっちゃった。
どうしても向き合わなくてはいけない・・・
これって、いったい、どういうことなんだろうね?
どういう意味があるんだろう?」
と、泣きながら姉に訴えた。
姉にしかこの自分の本音は言えなかった。
姉は・・・
「そこに意味があるのよ。
逃げずに見据えなさい。向かい合いなさい。
そうすれば必ず答えがわかるから・・・」
そう言った。
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ようやく今ね、
その答えが少し見えてきた気がしてる。
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カムアウトされたことで、
気づかなかった自分の偏見に目を向け、
それを取っ払う作業を、Eを通して、してきたんだと
そう思う。
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この間、Eと一緒に行ったカフェで。
そこはお母様とその娘さんが親子でやっているところなんだけど。
私は自分でもビックリするくらい自然に、そのオーナー親子に向かって
Eをこう紹介した。(もちろん、その場でEにことわってからだけど)
「この子、同性愛者なんですよ」。
一年前の自分には考えられない行動。
自分で自分に驚いた。
またその親子もごく自然に・・静かに・・私の言葉を受け止めてくれて・・・
その後の私とEの話に耳を傾けてくれた。
嬉しすぎる、あり得ない話。
でも現実にあった話。
Eという鏡を通して、私は自分を見させてもらってると、心から思った。
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ただ。
今また改めて思う。
「この子、同性愛者なんです」
ではなく、
「同性愛者でもある子なんです」
と表現すべきだったのでは・・・と・・・。
E=同性愛者
でなく、
同性愛者であることは、Eのなかの一部であって、すべてではない。
いつのまにか私の中に思いこみがあったから、
ああいう言い方をしてしまったのかな・・・
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私は今、Eを危惧しています。
同性愛者を主張するあまり、本来のEが隠れてしまっていないか・・・
同性愛者としての活動が目立ち過ぎて、
大学四年生としてのEが見えにくくなっています。
カッコいいし、親の私から見てもイケメンの彼女だけど・・・
Eの内面の、底の底にあるものって、何?
私はEからそれを言葉で聞きたい。
静かにクールに耳を傾けることも大切なこと。
でも、自分の思いを冷静に言葉で表現化することももっと大事だと思う。
時には感情の任せるまま、言いたいことを言いたい放題、口に出したっていいんです。
今のEを見ていると、
つらくなるのは何でだろ・・・
「同性愛者」という言葉を、Eから取っ払ったら、何が残るのかな・・
EがEとして、社会で自立して生活していくとき、彼女の手には何があるのか・・
etsuさんやbiancaさんたちのすごさの本質は
「同性愛」という枠の中にとどまらないところだと私は思います。
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愛する娘Eへ。
どうか誤解しないで耳を傾けてくれますように・・・
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by jandaramommy | 2011-09-24 11:54 | かんがえたこと