「THE THIN RED LINE」という映画。


寒風吹く中、めっけっ!!

庭の椿の花を一枝・・・と、鋏を伸ばしたら・・・

そこに夏の名残りの蝉の抜け殻が・・・


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余談ですが、私の住むこのあたりでは、蝉の幼虫(ぬけがらも含め)のことを 「ごっとん」 と呼びます。夫の住む地域では同じ市内ですけど 「どんごろ」 と呼びます。
ニックネームみたいなもんでしょうね。
「蝉の幼虫」と呼ぶよりもずっと親しみを感じませんか。



この真冬に、まだ落ちずにいたのね~・・・

ぬけがらとはいえ、この存在感。この迫力。

脱帽。

椿と蝉のツーショットって貴重だわ~


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「シン レッド ライン」という映画をテレビでたまたま見ました。

ソロモン諸島のガダルカナル島を舞台にした戦争映画。

一風変わった戦争映画でした。

どこが変わっているかというと・・・

随所に、自然の風景や、地元住民の生活の一こまや、回想シーンがはめこまれていて、

そこがやけに戦闘シーンとのギャップを感じさせる。

明と暗。

陰と陽。

静と動。

それらの対比が強烈だった。

たとえば。

海の中を原住民の子供たちと一緒に兵士が泳いでいたり、弾が飛び交う中を極楽鳥が屋根の上からじっと見ていたり、生まれたての鳥のひながよわよわしく地面を這っていたり、隠れている兵士の前に蛇が鎌首を上げていたり。

森の中から見上げる太陽や海の中。浜辺の木のざわめき。月の美しさ。

それらが妙なリアルさを持って迫ってくる。



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ガダルカナルときいて興味を引かれて見始めた。


実は二十歳前半のころ、ガダルカナル島へ行ったことがある。


戦跡を訪ねて「ブラッド ヒル」(「血の丘」と呼ばれる木の生えていない山)やアメリカ軍が上陸したという浜辺を見て歩いた。
なぜ木がはえていないかというと、敵が攻めてくるのを見やすくするために、木を焼き払ったから。
その丘はおびただしい死者の血で赤く染まったというのがその名前の由来。


映画の中のあの丘・・・私がかつて歩いたあのブラッドヒルではないかと思いました。


あの丘を歩いた時、草むらの中に空き缶が簡単に見つけられた。戦時中、兵士が食べた缶詰だった。


ぶきみなほどあの辺りは静かで、おびただしい数の黄色の蝶が舞っていた。


あの時。


私にはあの蝶たちが、あの丘で死んだ兵士ひとりひとりの魂のような気がして仕方がなかった。


忘れられないあの風景の丘を、今テレビで見ているなんて・・と不思議な気持ちに駆られました。


私が歩いたあの丘でのすさまじい戦闘シーンをまさかこんなふうに見るなんて・・・ね。


シンクロニシティ。


海岸や・・・・町中にも・・・戦争で使われた船や戦車や大砲の残骸が見られた。


おそらく、それまで私が生きてきた中で、いちばん戦争というものをじかに感じたときだった。




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映画の中の兵士がつぶやくことば。



「善と正義を信じていれば苦しみは減るのか?」


「人といると孤独を感じる」


「戦争は魂を汚す。」


「戦争で奪われぬ愛はどこからくるのか?」


「どうして善良さを失った?手放したのか?なぜ手が届かない?栄光に触れたいのに。」


「瀕死の鳥を見て人は理不尽だという。死は逆らえない。死はあざ笑う。」


「お前の輝きはどこだ?」




こんな言葉のひとつひとつが・・・・今なぜこんなに心にひびいてくるのか・・・


日常と非日常が交錯し、狂気と正常が混乱した中、人は何を信じ、自分を保つのだろうか。



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昨年の大震災・津波・原発事故も無縁ではないと思う。


椿の葉にしがみつく蝉の抜け殻・・・・


象徴的な気がするのです。


ちょんちょん。






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by jandaramommy | 2012-01-13 22:01 | にっき